心臓リハビリテーションのまにまに

心臓リハビリテーションについて考えたり思ったりしていることをつらつらと書いています。

介護生活敗戦期はとてもためになります

こんにちは、心リハ太郎です。

日経ビジネスオンラインで楽しみに読んでいる連載の一つがこちらです。

「事実を認めない」から始まった私の介護敗戦:日経ビジネスオンライン

認知症の介護には制度的にもまだ厳しい現実が横たわっています。
また認知症の家族をどう介護していくのかについても、社会的にはまだ認知されていない部分が多いです。

こちらの連載では、筆者である松浦さんが母親が認知症になったことが認められないところから始まり、紆余曲折、悪戦苦闘しながら、必死に母親を介護をしていくリアルな家族の姿が描かれており、医療者にとっても参考になること請け合いです。

このブログでも何度か書いている通り、今後の日本は恐ろしい勢いで認知症患者が増加し、それは心臓リハビリテーション対象の患者さんであっても同様です。

介護生活敗戦期は、単にADLのみを問題にせず、認知機能も含めたサポートをどうしていくか、家族をどうサポートしていくか、ということについて深く考えさせられる内容になっていますので、是非読んでいただくことをお勧めいたします。

ではでは。

決算書が読めるのも大事です

かねがね財務諸表など読めるようになりたいと思いながらもなかなか手をつけられていないんですが、それだけでなく色々と興味を持ち、手を出してみることの大事さが伝わる記事があったので紹介します。

30代で決算書が読めるようにならないとヤバイ理由 | 30代から始めるモテるキャリアの磨き方 野田稔 | ダイヤモンド・オンライン

気張らず、でも色々なものに触れるためのヒントになるのではないでしょうか。

自分自身では結構色んなことに興味を持つ方だと思っています。

心臓リハビリテーションでは使えるものは何でも使うべきというのが持論ですが、実際に一見関係なさそうな分野でも何か使える要素、役に立つ要素があるものです。

例えば色々な知識を持っているだけでも、何かの話題で患者さんとの会話が弾めば、より深く関係性を築き、行動変容の役に立つきっかけとなるかもしれません。

循環器疾患だけではなく、整形疾患の知識であっても何かが患者さんの役に立つ日が来るはずです。
腰痛、膝痛などは高齢者には多い悩みですしね。

財務諸表については、経営的視点を持てなければ組織において有益な人材にならないと考えているので、なるべく早く読めるようになりたいのですが、なにせどうも簿記とかあの辺りが苦手なのでどこかで克服してやろうと思っています。

なんかわかりやすい本とかないもんですかねえ。

現在の医療制度はどう変わっていくか

こんにちは、心リハ太郎です。

日経ビジネスオンラインに、医療費の抑制方法や医療制度について考えさせられる記事がありましたので紹介します。

高齢者優遇と医療費拡大、悪いのは誰だ?:日経ビジネスオンライン

詳細はぜひリンク先を読んでいただくとして、私も内容を少しまとめてみます。

  • 「シルバー民主主義」のようなラベリングは単なる不満のはけ口であり、世代間・国民間の対立を生む。これは米国のように社会の分断に繋がるためあまりいいやり方ではない。誰かと比較して不満のやり場を見つけようとする自分たちの発見や行動が、問題解決に向かう正しい方向性なのかを冷静に考えた方がよい。
  • 医療費は、医療の高度化(新薬や新たな治療法など)というコントロール困難な因子に左右されるためどうなるかを予測することが特に難しい。米国の研究では医療費の高騰を招く最も大きな理由は高度技術の開発であるというエビデンスがある。しかし、患者利益を考えると医療の進歩を抑制するべきではない。
  • 日本の議論に不足しているのはエビデンスと医療経済学理論に基づいた制度のデザインである。医療費の増加率をどう抑えるかが問題解決には重要であり、自己負担を上げたり診療報酬を下げるというのは単なる対処療法に過ぎない。
  • 診療報酬制度自体が仕組み的にもう限界である。診療報酬の引き下げをしても病院は薄利多売の構造をより強固にするだけ。薄利多売の追求で現場の仕事量が増えてさらに多忙になり、コスト的に人手をかけられなくなった病院から破綻していくことになる。
  • 病院は民間企業であり、利益の最大化を目的とするため、報酬を上げても医療を効率化するインセンティブは働かない。出来高払いではなく、欧米のように包括支払い制度を基本としたほうがよいのではないか。一部導入されている日本の包括支払い制度(DPC)は、制度的には何らかの政治的配慮があるためか不十分な制度。特に欧米で標準的になっている業績(エビデンスに沿っているか、死亡率はどうか、など)に対する支払いといった面がまだ不足している。
  • 国と医療提供者が同じ方向を向き、二人三脚で改革を進めるべき。医師は何が何でも既得権益を守ろうというわけではなく、現状の制度が自分たちにも患者にも不利益であるとわかれば、おそらく協力するはず。

今後、日本の医療制度は上記のような方向に舵を切り始めるでしょう(もう切り始めていますが)。
病院として、また医療者として、先を見据えながら、今後進む方向性を必死に考えていく時代が到来していると思われます。
実際に、薄利多売の構造と大企業的なコンプライアンス遵守のための多数の決まり事は今の医療界の人的資源を逼迫していると思います。

患者さんにとっても医療者たちにとってもよりよい制度づくりができるよう、日々の業務を当たり前と思わず、もう少し高い視点から見直してみることは、どの医療者にとっても有益ではないでしょうか。

医療経済・政策学の視点と研究方法

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医療経済学の基礎理論と論点 講座 医療経済・政策学 第1巻

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ではでは。

認知症が激増する時代にどう立ち向かうか

こんにちは、心リハ太郎です。

今後の日本において認知症患者さんへの対応は急務というか、既に遅きに失しているような気もしますが、心臓リハビリテーションにおいて、認知症への対応は滅茶苦茶に重要です。
何故なら認知症の方は疾病管理など到底できず、再発を繰り返すリスクがこの上もなく高いからです。

認知機能低下がはじめにもたらすのは、基本的ADL(BADL)の低下ではなく、応用的ADL(IADL)の低下であり、すなわち自己管理能力の低下です。
例えば

  • 金銭管理
  • 服薬管理
  • 通院管理
  • 食事管理
  • 水分管理
  • 活動管理

などなど、心臓リハビリテーションにおいて、心不全や冠動脈疾患の再発を防ぐためには必須とも言えるような項目がこれでもかと並んできます。
しかも一般的に認知症と言われるレベルではなく、軽度認知機能低下くらいから、これらの問題が始まります。

心臓リハビリテーション界隈ではフレイルティ(身体的虚弱)の話題が花盛りですが、精神的フレイルティの一つとも言える認知症にも、もう少し目を向けましょうよと声を大にして言いたい今日この頃です。

さて、認知症患者さんが今後どのくらい増え、社会に及ぼす影響がいかなるものかについて参考になる記事がありましたので、引用してご紹介します。

「認知症700万人時代」にどう立ち向かうべきか:日経ビジネスオンライン

厚生労働省国民生活基礎調査」(平成25年)では認知症高齢者の家族との同居は61.6%(うち、子供や子供の配偶者の合計は33.0%)、事業者は14.8%である。
自立した生活を送れている認知症患者の割合は少ない。老齢に差し掛かって伴侶・配偶者からの支援(26.2%)以外の人の手を借りて暮らしている高齢者は、年金など社会保障の収入とは別にそれだけの生産可能人口からの支援を受けながら生活していることになる。
逆算すると、2012年すでに300万人ほどの日本人が認知症患者の生活支援を何らか行いながら暮らしており、2025年にはそれが500万人以上になるのであって、人口のおよそ4.6%が認知症患者を家族に持ち生産性を発揮せずに患者本人が亡くなるまで暮らしていく構図が浮かんでくる。

8年後には20人に1人が認知症の家族を抱えるために社会参加を阻害される時代がくるようです。

認知症の家族との生活は考える以上に大変なものです。
時間的・精神的・金銭的負担が否応なしに介護者へのしかかってきます。
認知症単体では要介護度もあまりつかず、十分なサービス利用も困難なことがあり得ます。

患者さんの家族が認知症の方を家庭に抱えている時、その患者さんは正直自分の事どころではなく、疾病管理も困難になるかもしれません。

また認知症の患者さんが独居だった場合、退院後に家族が引き取らなければいけないケースも現在よりさらに多発するはずです。
このようなケースを社会的に支える仕組みを作ることは急務と思われますが、実情は金銭的にもベッド数的にも問題の多い施設入所しかなく、家族にお願いする他ない場合がほとんどです。
2025年まで現状の仕組みで果たしてなんとかなるのでしょうか・・・。

また、軽度認知障害(MCI)を認知症予備軍として見込む調査も多い一方、かかりつけ医や物忘れ外来など軽度認知障害である所見がないまま、何となく家族が高齢者の物忘れに認知したころには相当程度の認知症状の進展が起きているケースも無視できない割合存在する。

軽度認知障害は、例えばMMSE(Mini Mental State Examination)で27点以下と言われたりもしますが、このレベルの認知機能低下者には臨床では非常によく遭遇します。
人によってはこの状態から自己管理が困難になってくる場合もありますので、こういう場合は誰に管理をしてもらうのかを考えなければなりません。

またMCIの方は数年で認知症に進行するリスクが高く、その時には既に疾病管理不良による心不全増悪を繰り返しているなど、問題解決がより困難な状態になっている危険性が高いため、MCIを同定し、あらかじめ家族へ病気の管理方法を伝えておくなど、何らかの対策を取っておく必要があるかもしれません。

先の厚生労働省分類における「急性増悪時」から「中期」以降の認知症患者を家庭が受け入れるとき、極端に困難が訪れる事例報告はむしろADL(日常生活動作)よりもIADL(手段的日常生活動作)に顕著に表れる。
認知症患者を抱える家庭の大きなストレスは介護そのものよりもこのIADLの欠落や、認知症状が進んだ結果としての人格の喪失や徘徊に対するケア、さらには家庭内でところ構わず行ってしまう排泄の処理だ。
人としての尊厳を失わないうちに進行した認知症患者を適切に対処や処置する仕組みが求められる点は、本人だけでなくそれを支える家族のためであって、それが2025年には500万人以上の苦悩を引き起こすことは目に見えている。
すなわち、日々の活動の中で歩いたり、ベッドから起き上がる、歯を磨くあたりから、排泄、入浴ぐらいまでであれば実施可能だという認知症患者は多数存在する。
これらは、先に述べた厚生労働省の要介護認定のレベルからすれば、要介護度さえつかないレベルで日常生活は可能と判断されることになる。
認知症がある程度進んでいると見られるのに、要介護認定がつかずに行政の目が行き届かなくなるケースが多い理由はここにある。
実際に、事例研究でも80代女性の日常生活に不便はないと判断されたにもかかわらず、買い物に出かけられず栄養失調になるケースは事欠かない。
高齢者本人が「できる」けれども日常的に「している」とは限らないうえ、バランスの良い食事を摂れているかや医師から処方された服薬が決められた通り飲むことができるかは、実際に生活の中に立ち入ってみない限りなかなか判然としないのだ。
老々介護の現場においては、本人も配偶者も一緒に認知症になる悲惨なケースは特にケアが必要だと考えられる。

初発の高齢心不全患者さんによくみられるケースは、基本的ADLが自立しているゆえに、独居や老々介護世帯でその人の問題が人の目に触れず、病気の管理が出来ていないことから心不全を重症化させて入院というパターンです。
この場合、心不全治療をして家に帰るだけでは何も問題は解決しません。
入院中に認知症の有無を判断し、BADLに問題がなくても介護サービスを使える環境を整えることも重要です。

加えて、人間が社会生活を送るうえではこれらの初歩的な生活動作だけでは暮らしていけない。
電気代ガス代水道代は払わなければならないであろうし、買い物や口座管理といった、普段使いのために必要なお金の出し入れを本人が意志として充分に実施できる状況にない限り、文化的な生活を送る健常な人間とは言えなくなってしまうのも現代社会の特徴である。
認知症患者はこの急性増悪期以降、個人差もあるが数か月から一年半程度でIADLの機能を喪失する可能性が指摘される。
精神病床における認知症入院患者に関する調査概要では、認知症が原因として入院せざるを得なくなった高齢者454名を対象に実施した調査の結果が事態の困難さを示している[6]。
すなわち、食事の用意が困難と判断された高齢者が95.4%にのぼったのをはじめ、金銭管理が困難と判断される高齢者が97.4%。家事全般が同92.9%、薬の管理が96.0%である。

入院が必要な認知症と判定された時には、一般的な人間の生活には戻れない状況に至っているわけですが、そういった人たちがここから10年程度で劇的に増加してくる時代にどう先回りするか。
この辺りをしっかりと考えて対処できる病院とそうでない病院の差がここから10年で今よりも更に際立つと思われます。

引用した記事は、政策的な提言を目的としているためか、居住拠点を集約してケアをしていくなどなかなか過激な結論になっており、その是非は難しいところですが、認知症への対応をなんとかせねばならないという熱い思いは伝わってきます。

冒頭で述べたように、病気の管理を考えた際に、患者さんの認知機能低下を考えずに済ますことはできない時代になってきています。
医療者も更に増える認知症あるいは軽度認知障害の方にどう対処していくのかをそろそろ考えておいた方がよいでしょう。

また、認知症であっても人間としての尊厳を尊重する関わりは重要です。
何故なら人間の快不快や喜怒哀楽といった情動は、大脳機能だけではなく、扁桃体などをはじめとする古い脳である大脳辺縁系も関連するためです。
人間以外の哺乳類にも情動は存在すると言われ、それには言語的コミュニケーションがとれるかどうかは関係しません。
このあたりを重視したのがユマニチュードというフランス生まれの概念です。
特に認知症が増え、大わらわとなるはずの看護ケアの場面で人間の尊厳を守るにあたり非常に参考になりますので、ユマニチュード入門あたりをご一読されるとよいかと思います。

ではでは。

極論を知りあらゆる可能性を模索する重要性

こんにちは、心リハ太郎です。

 

日経ビジネスオンラインに面白い記事がありましたので紹介します。

脳の老化も予防、極論を知る意味とは?:日経ビジネスオンライン

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筆者の和田さんは、極論を考慮に入れることで、自分の考え方の幅を拡げ、様々な可能性を受け容れる素地を作ることが重要と述べています。

 私が、このような「それもあり」「そうかもしれない」思考と呼んでいる考え方を勧めるのは、精神科医の立場からみて、そのほうがメンタルヘルスに良いとされているからだ。

 現在の精神医学の考え方では、「かくあるべし思考」とか、「この道しかない」と思うことが最も心に悪いとされている。

 「そうでなくてもいいじゃないか」と思えることが心の余裕につながり、鬱の予防になったり、鬱になったときに悪化を防げるということだ。

また前頭葉機能の維持・活性化にも極論に触れることは有意義であるのではないか、と述べられています。

 私の長年の高齢者医療や、何千枚もの脳の画像(MRI検査やCTスキャン)を見てきた経験から言えることは、人間の脳というのは前頭葉から縮み始めるということだ。

 前頭葉の機能が低下すると意欲が衰えるため、頭や体を使わないようになり、それが脳や体の老化を進めてしまう。また感情のコントロールも悪くなるため、キレやすくなったり、落ち込みが止まらず、鬱になりやすくなったりするために、社会的・対人的な不適応にもつながる。

 前頭葉が活性化されるのは、想定外なことに出会った時とされる。ルーティンワークをやっている際は、例えば、読書や会話では側頭葉という脳の部分が用いられ、計算や設計では頭頂葉という場所が使われる。前頭葉というのは、クリエイティブなことを行う際や、これまでやったことのないもの、見たことのないものに出会った際の対応に用いられると考えられている。

 ということは、前頭葉を使うためには、ありきたりの話に触れる、仲間内の相手が言うことがおおむね予想できる会話ではダメで、普段読んだことのない意見や知識が書いてあるような本を読むとか、異業種のビジネスパーソンとの交流を深めるなど、普段とは違う会話ができる場に出向くことが必要となる。

 また強い刺激ほど前頭葉は反応するとも言われている。極論や暴論はさすがにその信者になってしまうと不適応は多いが、それに触れることは脳の老化予防になると言っても過言ではないだろう。

 

私個人としても、否定しきれないあらゆる可能性を考慮に入れることは、心臓リハビリテーションに応用可能という立場です。

臨床場面においては、初めから結論ありきの思考は、見つけるべきものを見つけられず、有益な診断・介入方法の機を逸することが多いです。

人間の身体や心、経験などは千差万別であり、何が潜んでいるかわからないと考えていた方が、想定外の事態にも対処可能になります。

そのためには、必要ないのではないかと思えるような知識、知見、経験に触れておくことが重要ですし、それが出来なければ、今後コンピュータに仕事を奪われるのみでしょう。

 

以前の記事でも述べたように、心臓リハビリテーションでは病気の治療のみに留まらず、患者さんを一人の人間としてあらゆる角度から考えることが重要です。

【参考記事】

心臓リハビリテーションとは(その1) - 心臓リハビリテーションのまにまに

思考停止に陥らず、広く視野を持ち続けることの重要性を感じていただければ幸いです。

 

 ではでは。

『不安な個人、立ちすくむ国家』についての所感

こんにちは、心リハ太郎です。

 

経済産業省の若手官僚が現在の日本社会における課題を指摘した全65ページのスライドが公開されて反響を呼んでいるようです。

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

 

およそお役所らしくない、挑戦的な文言の並ぶ資料で非常に面白いので、未読の方は是非目を通してみて下さい。

こういう問題意識を持って活動している若手官僚がいることは頼もしい限りです。

 

この資料には結構衝撃的なページがてんこ盛りなんですが、個人的にはこのページがやばいと思いました。

男性の退職前後の1日の過ごし方の割合を比較したグラフです。

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TVを観て過ごしている時間が薄い水色、休養している時間が濃い水色で示されていますが、退職後はとんでもないことになっています。

あんたらテレビ観てるかゴロゴロしてるかしかしてないんかい!って感じです。

 

これが皆さんが相手にしている高齢者の活動実態だとするとどうですか?

やばくないですか?

絶対に廃用が進むし、動脈硬化も進むし、どうすんの?という状態ですよね。

 

こうやって過ごした結果、体力や足腰の弱った状態で、しかも血管を詰まらせて心筋梗塞もしくは高血圧からの心不全といった感じで入院してあなたの前に現れたのが心臓リハビリテーションを受けている患者さんなわけです。

(アテロームやラクナの脳梗塞患者さんなんかも動脈硬化性疾患なので同じですよ。)

 

しかもどれだけ安静の害を説明したとしても、心臓病になったという理由で退院後に過度安静をとる患者さんは必ず一定割合で出現します。

そしてまたグラフ中の水色のような過ごし方をして、さらなる廃用や動脈硬化の進展を助長するものと思われます。

 

このスライド資料では、全ての高齢者を弱者として扱うことに疑問を投げかけており、個人的には賛成ですし、心疾患患者さんも同じ人間ですから同様に考えればよいと思います。

非常にADLが低下してほぼ寝たきりの方や、あるいは非常に心機能が悪く入退院を繰り返す方は除き、そうでない心疾患患者さんにもこのような前を向いた考え方を当てはめていける社会を構築していけるとよいのではないかと思います。

 

高齢者の社会参加を増やし、社会的役割をどう作っていくかは、現在および今後の日本社会重要な課題ですが、現実問題として、我々医療関係者ができることは今我々の目の前にいる方々にどう関わるかを考えていくことではないでしょうか?

 

わざわざ社会参加を少なくするような、ADLを低下させるような脅しの言葉ばかりでなく、心臓病になったとしても社会に復帰し、自分の役割を再び獲得していこうと思えるような、リハビリテーション本来の目的である全人的復権に繋がるような励ましの言葉をかけていきたいものです。

下記の記事ではリハビリテーションとは本来どういうものなのかについてお話ししていますのでよろしければそちらもご覧ください。

【参考記事】

http://cardiacrehablog.hatenablog.jp/entry/2017/03/09/232521

 

 

 

ではでは。 

 

 

左室収縮能(EF)のわかりやすい(かもしれない)解説

こんにちは、心リハ太郎です。

以前はEFがよければ心臓は問題ないねみたいな考えの人が多かったですが、HFpEF(ヘフペフ)という心不全の概念の出現でそれが少しずつ変わりつつあります。

EFは心筋の動きの元気さ(収縮能)を見る指標であって、心機能をこれ一つで表せる指標ではありませんが、それでも心機能=EFと考えている人が心エコーや心臓リハビリの初学者には多いように思います。

今回はEFとは何か、どう考えたらよいのかについてのお話です。

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心臓のポンプ機能(心機能)の4因子

心臓の最も大事な働きは、血液を全身に配給するポンプの役割です。

心臓にある4つの部屋のうち、全身に血液を送るのが左心室ですので、心臓のポンプ機能(心機能)を考える際には主に左心室が注目されます。

この心機能は以下の4つの因子により規定されています。

  • 収縮能
  • 拡張能
  • 前負荷
  • 後負荷

この4因子のうちの収縮能を代表する指標がLVEF(Left Ventricular Ejection Fraction: 左室区出分画)、俗にいうEFです。

【参考記事】

 左室拡張能(E/e')のわかりやすい(かもしれない)解説 - 心臓リハビリテーションのまにまに

左室収縮能(EF)とは

EFの単位が%(パーセント)、つまり割合であることをご存知でしょうか?

実はEFが単なる割合であることを理解することが、EFを正確に理解する必須条件になります。

 

EFは左心室の動きから次のように計算します。

EF =(左室拡張末期径 ー 左室収縮末期径)/左室拡張末期径

左室拡張末期径: LVDd

左室収縮末期径: LVDs

左室拡張末期径とか左室収縮末期径とかいう漢字が羅列した言葉が出てくると、読むのが急に嫌になりますが、簡単に言うと、心臓の心室が一番拡がった時の大きさ(LVDd)と、心室が一番縮んだ時の大きさ(LVDs)です。

 

心臓が一番拡がった時とは、最も血液を溜めてる時の大きさです。

逆に心臓が一番収縮した時とは、血液を押し出しきった時の大きさです。

この差が左心室の筋肉がどのくらい大きさを変えられるか、つまり心室の筋肉の動きの良さということになります。

人により、心臓の大きさはまちまちなので、補正のために最大時の大きさ(拡張末期径)で割ると・・・

EFになるわけですね。

 

ちなみに心臓エコー検査ではEFの決定方法は2種類あり、上で説明した式は古いタイプのもの(Teichholz法: ティーショルズほう)です。

心筋梗塞などではより正確なEFを算出するために拡張末期面積と収縮末期面積から容積を求めるSimpson法(シンプソンほう)が用いられます。このあたり詳しく知りたい方は書籍などをご参照ください。

 

このように、EFとはその人の心臓(左心室)の大きさに対して何%くらいの血液を大動脈に絞り出す能力(収縮能)があるかをみています。

 

EFによる収縮能の判断法と低下の原因

EFの正常値は60%以上とするのが一般的で、収縮能については50%以下が軽度低下、40%以下が中等度低下、30%以下が重度低下と考えられます。

(何種類かの基準があるので、必ずしもこの通りではないですが、大体こんな感じです。)

 

EFが落ちる=心臓の筋肉が弱る主な病気には、心筋が壊死して動かなくなる心筋梗塞と、心筋が何らかの理由で変性し、その後心臓が変形して動きが衰える心筋症などがあります。


このような病気があるとEFは低下し、心臓のポンプ機能低下により心不全が生じることで、患者さんのADLやQOLが著しく低下するため、EFの低下する心筋梗塞や拡張型心筋症などの病気が心臓リハビリテーションの対象となっていたのです。

 

EFだけでは心機能が判断できない

ですが、ここで問題が生じます。

EFが50%以上、場合によっては60〜70%以上あり、ポンプ機能がよいと考えられていたはずの患者さんに心不全が発生する例が多発してきたのです。

しかもそのようなEFのよい心不全患者さんも、EFの悪い心不全患者さんと同様に寿命が短いことが世界中で次々と報告されたのです。

 

これが冒頭に述べた、HFpEF(Heart Failure preserved EF: EFの保持された心不全)です。

 

HFpEFにはいくつかの原因がありますが、その理由の一つが、小さい左心室のEF60%と大きな左心室のEF60%では、数値は同じでも出している血液量が違う、ということです。

一度の左心室の収縮で送ることができる血液量のことを一回拍出量(SV: Stroke Volume)といいます。

ここを押さえておくと、EFがいいのに心不全になる(HFpEF)という心不全のパターンが理解しやすくなるので、頭の片隅に置いといてください。

 

コントロール不良な高血圧や、心臓弁膜症などがある場合、心臓は血液を送るのに必要以上に心筋を収縮させなければならず、左心室が肥大して部屋の大きさが小さくなることがあります。
このような心臓では収縮能には異常がないためEFだけを見れば60%以上あるのですが、部屋が狭く多くの血液を溜めることができないため、送る血液の量(一回拍出量: SV)が減り、結局心臓に負担がかかることで心不全になるわけです。

EFを見た時考えることは

さて、そろそろ話をまとめていきましょう。

 

EFの値が悪い場合、これは間違いなく心機能が悪いです。

なぜなら左心室の一回拍出量が低下しているということだからです。

1分間あたりの心拍出量は一回拍出量 × 心拍数ですので、EFが悪い場合は確実に心拍出量が落ちます。

 

次にEFが良いのに心不全になった人の場合は、一回拍出量が落ちているような所見がないかを考えます。

左室肥大(心室中隔や後壁の12mm以上の肥厚)がないか、左室の狭小化(LVDdがかなり小さな値になっている)がないか、などです。

 

最近は心臓エコー検査でもかなり正確に一回拍出量(SV)を計測してくれる機能がついたものがあります。

SVの正常値は60〜80mlですので、これを下回る場合はEFが良くてもポンプ機能は悪いかもしれません。

 

またE/e'が13〜15を超えてくる場合は、EFが良くても拡張能が悪く心機能が落ちる場合があります。

【参考記事】

左室拡張能(E/e')のわかりやすい(かもしれない)解説 - 心臓リハビリテーションのまにまに

 

このように心機能はEFだけで決まるものではないことを理解すると、逆にEFの重要性と臨床的な意味合いが理解できるようになります。

是非EFについての理解を深めて下さい。

 

 

 ではでは。